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戦争と被爆体験を語る

「今の子供は日本がアメリカと戦争をしたことが、なかなか実感できないようです。戦争や原爆被害のことは、体験していない先生の話ではピンと来ないようで、実際に体験した方の話が大切です。」

「生徒が当時の状況を質問した時、先生は返事に戸惑うが、実際に体験した人は即座に答えてくれるので、生徒は良く理解できるようです。」
 私が戦争と原爆被害の語り部として学校を訪ねたとき、校長先生からよく聞く話である。

 先日、市立中学校の平和学習に招かれ、1年、2年、3年生合同の280余名と先生合わせて約300人に、私の戦争と原爆被害体験を語った。(持ち時間50分)
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体験談を話す(当日の会場とは関係ないイメージ写真)

 当時国民学校の生徒だった自分の体験と記憶を基に、子供ながらに味わった悲惨な生活の日々を中心に、私が忘れようとしても忘れることができない戦争の悲惨さ虚しさ、そして原爆の恐ろしさをパワーポイントで編集した写真や資料をプロゼクターで映し出し、当時の様子を少しでもわかってもらえるよう工夫して話す。

話の大筋は・・・。
・私の戦争の記憶の始まりは、父が日中戦争で中国に従軍していて、5.6歳のころまで父の顔を知らなかったこと、
・学校では5年生でもう軍事教練が始まり、いずれ兵士として赤紙で招集される時が来るのかと漠然と考えていたこと、
・運動場や野原を生徒全員で、鍬で開墾して、さつま芋作りに励んだこと、
・戦争末期になると空襲に明け暮れ、防空壕の中で過ごした恐怖の日々、
・米軍の上陸に備えて逃げ込む山への道筋を教えられ、竹やりで身を守る訓練に励んだこと、
・衣類、食料が極端に不足して、ひもじい思いをして、食べ物のありがたさが骨身に浸み込んでいること、
・それでも「欲しがりません勝つまでは!」の合言葉で、我慢を強いられたことなどなど・・・。

・そして主題の、8月9日長崎に投下された原子爆弾の被害に遭ったことを。
 これは実際に経験した人でなければ話すことができない内容であり、映像をもとに原子爆弾の破壊力の物凄さ恐ろしさを具体的に事例を示しながら話す。
 
原爆の恐ろしさ(破壊力)(長崎市に投下された原子爆弾の被害)

爆発時の爆心地周辺の地上温度:3000℃~4000℃
爆発時の爆心地周辺の最大風速(衝撃波):秒速440メートル
放射線 :1㎞以内で被爆した人のうち、その大多数が死亡。死を免れた人もその障害に今でも苦しんでいる       
死者  :約7万4千人

 とりわけ原子爆弾の被害に遭ったのは、世界中で唯一広島・長崎だけ。このことは日本人として絶対に忘れてはいけないことで核のない世界の実現に日本が率先してリーダーシップをとらなければならないことを強調する。

 そして太平洋戦争で犠牲になったのは、兵士230万人、一般人80万人合せて310万もの尊い命を失い、国土と人心の荒廃をもたらしたこと。
 終戦(実は敗戦)後74年間に日本人が総力を挙げて築いた結果、今の平和があることを忘れないでほしいと訴える。

 しめくくりとして生徒さんへのメッセージを伝える。

 二度と戦争を繰り返すようなことはあってはならないし、私たちが体験した戦争の悲惨さを皆さんに体験させるようなことはあってはならないこと、
 平和の大切さ尊さ、命の尊さを大切にし、家族、学校、社会、日本、そして世界の平和を、皆さんがこれからも守り・育み、更なる平和を創造してほしい。これからの日本を創るのは皆さんです!と訴える。

 私はいつも、生徒さんの表情、特に視線を感じながら話すよう心がけている。
 私の話に関心を持ってくれている生徒の表情は真剣で、強い視線を感じる。
 そんな時私は、生徒と思いが通じ合っていることを実感すると同時に、語り部の遣り甲斐を感じる。

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by matutaka31 | 2019-06-29 18:01 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)
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Commented by hibochan at 2019-07-01 06:44 x
戦争そして被爆体験者のお話生徒さんたち理解できたのでしょう 語り部として頑張ってください
北方領土訪問の際のドタバタ劇体験者の方たちの悲劇
理解できます










Commented by matutaka31 at 2019-07-01 09:56
hibochanさんへ
教育現場だけでなく、今の政治家もほとんど戦争を知らない
世代になっています。
風化してゆくのが目に見えるようで、この先日本はどうなるんだろうか
と気になります。
Commented by yyyanoy at 2019-07-02 20:48
わたしもどちらかというと戦争の記憶はありません。

かすかに覚えているのは(麻布に住んでいた)日本橋の方の空が赤かった。s21年には父の里に疎開した。でもうちではあまり空襲の話はしたことがなかった。
戦後、国立病院の中はすっかり焼けてしまい、雨風がしのげるので住んでいる人もいました。

お話を聞いた生徒さんはきっとわかっていると確信いたします。
小学生の時父に連れられて映画「原爆の子」をみました。
「戦争は多くの人を殺し、多くの人を死なせ、残され者の苦しみなど」小さいながらも感じたのを今でもおもいだします。
Commented by dojyou38 at 2019-07-03 10:02
matutaka さんの語り部講話は本物が発する迫力があるから
生徒さんも真剣に聞き入るのでしょう。
安倍政権は改元を幸に戦争の悲惨さだけでなく、戦争があった事実さえも隠すような情報操作をしています。
私自身も九州に居る時は太刀洗・長崎・知覧などの平和祈念館へ
行く機会もたまにありましたが、神奈川に来てからは原爆・戦争の生の遺跡・情報に接する機会がなくなりました。

このような情況だからこそ、matutaka31 さんのような活動は貴重は存在です。
頑張ってください。
Commented by matutaka31 at 2019-07-04 10:58
yyyanoyさんへ
東京大空襲を経験されたのですね。
生徒さんに戦争・原爆の悲惨さを理解してもらうために、
どのようなことをどのように話せばいいのか、いつも悩みます。
でも事実をそのまま話すことが、生徒さんの理解が深まることを
痛感しています。
Commented by matutaka31 at 2019-07-04 11:04
dojyou38さんへ
情報があるれている現在、通り一遍の話では生徒さんは
ピンとこないようです。
時には画像を見せ、時には現物を見せ、話の内容も
脚色せずそのものずばり話す方が、理解が深まるようです。
語り継ぐことの重要性を感じながらも、その難しさを
痛感しています。
Commented by tenpai8 at 2019-07-05 11:33
あの戦争から3/4世紀が経過、政治家を含めて国民の大部分が戦争のことを忘れ去ったようです。そして国民世論も妄想政治家の弁舌に判断力を喪失しようとしています。
何とかして、早期に正道復帰を望むだけです。
Commented by matutaka31 at 2019-07-05 22:38
tenpai8さんへ
今は戦争のことは、大人より子供の方が
よく知っているかもしれません。
それほどに大人は、平和ボケしているようです。
戦前戦後の苦しみを経験した者にとって、
情けなく感じるときがあります。


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