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彼岸花が咲いた

今年も彼岸花が咲き始めた。
公園の端や道路際、そして田んぼの畔や土手など、真っ赤な花が目立つようになった。最近は真っ赤な花に交じって白い彼岸花も増えてきた。

 彼岸花は他の植物と違って葉がなく、ニョキッと突き出すように蕾が出たかと思うと、燃えるような真っ赤な花が咲き、ひときわ目立つ花である。

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ひょうたん池の畔に咲く彼岸花

 彼岸花と言えば、多くの人は 山口百恵の『曼珠沙華』(マンジューシャカ)を思いだすかもしれないが私は、流行歌「長崎物語」を思いだす。
「赤い花なら曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、阿蘭陀屋敷に雨が降る~濡れて泣いてるじゃがたらお春・・・」
古いねーと言われるが、今でもこの彼岸花を見ると、不思議なくらい口ずさみたくなる。

 ところでこの彼岸花、昔から日本人の心に強い印象を与えてきたのだろうか、各地にいろんな呼び名が残っているという。一説では約400種類以上の呼び名(方言)があるというから驚きである。
 歌詞にもあるように「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」のように、極楽に咲く花の呼び名があるかと思えば、「真っ赤な花は火事を連想させるので屋敷内には植えない」という等、地域によっていろんな言い伝えや呼び名が。
 
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 でもどちらかと言えば不吉な華として忌み嫌われることが多いようで、例えば、墓地などで咲くことから墓花、幽霊花、地獄花、葬式花、死人花と言う具合に。 また毒をもつことから、毒花、手腐り、痺れ花などの呼び名もあるという。

 更に、花が咲く時に葉がないことから「葉見ず花」という呼び名があったり、花が枯れてから葉が現れ、その葉は春の終わりには枯れる。花の時期に葉がないというのは葉を親に見立てて「捨て子」の発想につながり、種が出来ないのは「子孫が絶える」ということで、縁起が悪いとされているらしい。

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 今ではそんな言い伝えを信じる人はなく、家庭に庭で赤や黄色や白の彼岸花を見かけることが多くなった。
  「花は世につれ 世は花につれ」とでも言いましょうか。


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by matutaka31 | 2018-09-16 20:02 | 思いのまま | Trackback | Comments(4)

いい一日

 昨日(日)、敬老の日より一週間早く行われた町内会の敬老会に出席した。
 かしこまった雰囲気はなく、みんなでお祝いしようという和やかな雰囲気に包まれた敬老会で、地域ぐるみの暖かい空気がみなぎっていてホットする。

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町内会主催の敬老会
 町内会の役員さんたちと町内のボランティアグループや子供たちのサークルなどによるおもてなしは、手作りの温かさが感じられ、心のこもった敬老会だった。

 あまりお金をかけなくても、町内会挙げて、高齢者から子供たちまで一緒になって、楽しい一時を過ごすことができることを示してくれたことに敬意を表したい。
 これが本来あるべき敬老会の姿だろう。

 ややもすると「しなければならない」義務的雰囲気の漂う敬老会になりがちで、お酒を飲んだ人だけが元気を出すが飲まない人はなんとなくくつろげない、私にとっては楽しい敬老会という印象は残っていなかった。
 でも最近少しづつ、町ぐるみの手作りの敬老会という雰囲気に変わってきたのが嬉しい。

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歓迎のメッセージとエコサークルのメンバー手作りのキーホルダー
そして子供たちからのお便りが込められた心づくしの贈り物

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科学教室の子供たちによる手品などの出し物

 最後まで居たかったが、1年前からの予定していた要件があった途中でで中座してしまったのが残念だったが、心から楽しめた敬老会に参加できたことを、関係の皆さんに感謝


 次は、アクロス福岡での九州市民大学の9月例会へ。
 今月は、九州交響楽団による「日本の歌、世界の歌」の演奏会。中井章徳氏の指揮と軽快なお話に耳を傾け、聞きなれた曲目の演奏や九響合唱団の合唱にしばし別世界に浸る。

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会場では撮影禁止なので、九州交響楽団のHPより

曲目はヴェルディ 歌劇「ナブッコ」序曲、「ナブッコ」より「行け我が思いよ、金色の翼に乗って」
   ヴェルディ 歌劇「リゴレット」より「女心の歌」
   ヴェルディ 歌劇「椿姫」より「乾杯の歌」
   他5曲
   
 私はクラシックにうんちくを傾ける何物も持ち合わせていなくて、ただ演奏を聴くのが好きなだけで時たまこうした会場に足を運ぶ。

 アンケートに応えた復興支援ソング「花は咲く」 の全員合唱は、感動的だった。

 こんないい日が過ごせる住環境、いろんなイベントに参加したいときに参加できる今の健康、そしていい日を共に過ごしてくれる仲間、そのいずれを欠いてもいけない存在に、改めて感謝!

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by matutaka31 | 2018-09-10 13:48 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

秋の気配が

 今年の夏はいつになく、二十四節気が気になった。
 暑さに耐えかねてか、立秋(8/7)のころから「秋」が恋しくなり始め、「処暑」(暑さが少しおさまるころ)を聞くともう少しの辛抱だと、一段と秋を思う気持ちが高まった。

 そして今日9/8日は「白露」(大気が冷えて露を結ぶ)、このところ早朝家庭菜園に行くと、ひんやりした空気を肌で感じるようになり、露に濡れた雑草の上を歩くと靴はびっしょり濡れてしまう。
 あ~もう秋は近い!と、体の中からわき出るエネルギーを感じる。


 私たちが毎週金曜日ボランティアで管理するひょうたん池花壇では、秋を彩るリコリス(彼岸花の一種)の花が咲いていた。

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リコリス(彼岸花の仲間)周りの花はポーチュラカ

 そしてオオイヌタデ、玉すだれの花も。
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オオイヌタデ

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玉すだれ

 そうこうしているうち9/20の彼岸の入り、9/23秋分の日を迎えると、 「暑さ寒さも彼岸まで」の言い伝えのとおり、今年の異常な暑さも嘘のように次第に涼しさを増し、過ごしやすい秋が深まってゆくだろう。

 昔から農業にとってこのお彼岸の頃は、秋野菜の種まきやジャガイモやニンニクなどの植え付け適期とされ、大忙しの季節になる。

 幸い昨日、農作業の適期を見通したかのように、待望の雨が降ってくれた。本当に待ちに待った、まさに恵みの雨! ほっとすると同時に心まで軽やかになる。


 私は8月末からこの彼岸の頃までの一月間を目安に、家庭菜園での秋野菜の種まきや植え付けを一通り終えるよう段取りをする。
 先日、人参とビーツの種を蒔いたのに続き、大根、カブ、レタス、サラダ菜などの種を順次蒔いてゆくが、今年も野菜の美味しい時期を迎えて心が弾む。
 幸い体の調子も今のところ順調、腕によりをかけて、新鮮・安全そして美味しい野菜作りに励むことにしよう。
     楽しき哉 家庭菜園!

 玄関先のコンクリートの隙間に生えたヤナギバルイラソウ(柳葉ルイラ草)は、水やりも何にも手入れしないのにひとりでに育ち、ゆく夏を惜しむように、今朝も鮮やかな紫の花を咲かせている。

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ヤナギバルイラソウ:メキシコ原産の 半耐寒性常緑小低木

  ヤナギバルイラソウは、夏~晩秋まで長期間、紫色の一日花を咲かせる。環境に対する適応力が強く、湿り気の多い河原からブロック塀の割れ目まで、旺盛な繁殖力であらゆる所で生育する根性もの。

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by matutaka31 | 2018-09-08 06:47 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

猛暑を生き抜くつわもの

 暑い!暑い!の連呼だった8月も終わり、はや9月に入った。
そして9月2日、待ちにに待った雨が降った。こんなに雨が待ちどおしいと思ったことは、これまでに記憶がない程。
 おかげで、ポリタンク4個に満タンして車で菜園に水を運ぶ日が、やっと途切れた。文字通り恵みの雨に感謝。
 途切れた日が一日で終わるのかどうか、それはもう今後の天候次第だが、畑の土壌水分を十分満たすには足りないので、このまま天気が続けばまた水運びの再開となる。そんな中、猛暑を生き抜くつわものたちを追っかけてみる。

 毎日水やりしなければ生きてゆけないナス、キュウリ、ピーマン、ゴーヤなどをしり目に、干ばつ何するものぞと頑張っているのが、畑の片隅で元気よく育っているのがコキア。

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一度も水を催促しないで、元気に生き延びている優等生

 暑い暑いと弱音を吐く私に、これ見よがしに青々と茂ったたくましい姿を見せつけ、元気に生き延びている。
 一回も水やりはしないのに雑草も顔負けのたくましいコキアの生命力を見るたびに私は、元気をもらっている。


 庭のボンタンは熱暑と干ばつで、実が大きくならない。

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まだソフトボール程度の大きさのまま

 このままだとボンタンらしくない、小ぶりのボンタンになりそうな気配。
 でも昨日の雨で、葉の緑も濃くなったように見えるので、木そのものが元気になれば、ボンタンの実も大きくなってくれることを期待したい。
 居間から見える場所に植えているこのボンタン、毎日、実の太り具合を見るのが楽しみ!

 キンカンもこの熱暑に耐えて、懸命に生き延びようとしている。というよりなんとか子孫を残そうと頑張っているのか、9月というのにまだ花が咲き続けている。

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こんなに遅くまで花が咲くのを見るのは、今までになかったこと

 いつもは6月ごろから咲き始め7~8月にかけて、途切れ途切れに3回咲くのが普通だと思っていたが、今年は途切れることなくずーっと咲き続けているし、まだ蕾もできているので当分咲き続きそうな勢い。
 多分実が生っても太りきらないと思うが、こんな厳しい天候だからこそ、生き抜くためのキンカンの知恵だろうか、キンカンに聞いてみたい。
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最初に咲いた花の実はだいぶ大きくなっている
9月になっても咲き続ける花の行く末に興味がわいてくる。これから先どうなるか見守ることにしよう。

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by matutaka31 | 2018-09-02 17:30 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

私とパソコン

 還暦の節目に、老後のパートナーにしようと思い、デスクトップ型パソコン一式(プリンターを含め)を買った。その時の価格は確か約30万円ほどだったと思うが、これから先のパートナーと思えば、さほど高い買い物をしたとは思わなかった。
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 それ以来私に付き合ってくれたパソコンは3台で、1台平均7~8年間付き合ってくれたことになる。先日まで使っていた3台目のノートパソコンは7年間使い続けて来たが、そろそろ寿命が来たのかあるいは疲れが溜まったのか、時々いつもと違う動きがみられるようになった。
 だましだまし使えばもう少し働いてくれそうだと思ったが、非情にもある日突然動かなくなり息絶えてしまうことがあるので、転ばぬ先の杖とばかり、新しく4台目になるノート型パソコンを仕入れて、やっとデータやソフトの引っ越しを終えた。

 パソコンの機能も多様化し、内蔵するアプリケーションも次々に変わっていくのに対し、私の操作技術は、一向に進歩しないどころか逆に記憶力もだんだん低下して、操作方法を忘れていることもある。
 ひどいのは、パソコンに依存するようになってから漢字を書けなくなったことと、漢字の変換ミスが増えたこと。漢字の変換候補の選択に迷い、辞書を引く有様。(^^)/ でもパソコンを楽しむメリットを考えると、この年になって漢字の変換ミスはちっぽけなことと割り切っている。

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 とは言えパソコンとのお付き合いを続ける以上、ある程度の知識は維持しなければならないので、同じ思いの仲間数人で続けている月2回の「パソコンのメダカの学校」で、日ごろパソコンを扱うときに出会う問題をみんなで解決しあうなど頭の体操をしている。教室の放課後は居酒屋で仲間とのコミュニケーションの機会もあり、パソコンが取り持つ縁で楽しさが倍加する。


 一方では、私がボランティアで関わっている団体のホームページの管理は、プロにお金を払って作業してもらうような余裕はないので、素人同然の私が頼りがいのある助っ人と一緒にその作業を引き受けているが、時には私の知識を超える問題に出くわし頭の痛い作業が続くこともある。でもそれを乗り越えた時のことを考えると、これももた楽しい思い出になるだろう。

 パソコンとの付き合いを振り返ってみると、現職のころ手を付けたワープロからパソコンの時代へと移り、簡単なワード・エクセルからメールやインターネットや画像処理の楽しみを覚え、ホームページやブログにまで手を広げてしまった。
 そして今では、ボランティアに関する文書や資料の作成、年賀状はじめハガキや手紙、インターネットによる情報検索等々で、パソコンを触らない日はないというよりむしろ、テレビを見ている時間よりパソコンに向き合っている時間のほうが長い。それほどに今では、パソコンなしの生活は考えられないようになってしまっている。  今の私にとってパソコンは、少々大げさだが、日々を豊かにしてくれるよきパートナーである。!!


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by matutaka31 | 2018-08-27 21:34 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

学生アルバイト今昔

 博多の歓楽街中州から川を隔てた西側の西中洲という所に、今日話題にする、K居酒屋がある。
 居酒屋と言えば、老若男女が大声でしゃべりまくる騒々しい雰囲気が一般的。でもこのK居酒屋は、あまり騒々しくなくて、私たち高齢者も普通に会話が楽しめて気軽に過ごせる雰囲気が好きで、ボランティアやイベントの帰りに、時折仲間と飲みに行く。

 その居酒屋のカウンターの片隅に一見、キープした焼酎瓶が並んでいるかのように見えるコーナーがある。実はこの瓶、私たちが飲み干した焼酎の空瓶で、(写真ではよく見えないが)、一本一本違うイラスト風の絵が書いてある。

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 絵を描いてくれたのは、この店で働く、市内の某大学4年生のアルバイト女学生、愛称ひな子ちゃん。
 気さくに話し掛け、冗談を飛ばしてくれる明るい性格で、私たちお気に入りのお嬢さん。

 そんな彼女が私たちと交わした時々の話題にちなんだ絵を、新たにキープする度に、瓶いっぱいに描いてくれる。ある時は祇園山笠、そしてある時は朝顔といった具合に。新しいボトルに手を付けるたびに私たちが帰った後書いてくれる。

 他のお客さんにはしていないようで、彼女の特別の計らいがうれしい。

 絵が描かれた空き瓶をその場限りで廃棄するのは惜しいので、記念にしばらく置いてもらっていたところ、気が付けばもう7本も溜まっていた。
 その瓶の前の席はさながら、私たちの指定席そのものに思えて、親しみを感じてしまう。

 そんな彼女だが、どうやら就活も順調に進み、東京のある会社に就職が内定したと言って喜んでいた。
 夜のアルバイトで、昼間学校での勉強はしんどいだろうな~と余計な心配をしたくなるが、そんな心配をよそに今、卒業論文に取り組んでいるとか。
 無事卒論も仕上げて、満足できる学生生活を終えて、来年新しい人生を踏み出す彼女の幸せを祈るのみ。


 このアルバイト学生ひな子ちゃんに限らず、いろんな場所で、アルバイトの学生に出会うことがあるが、もう60余年前になる、東京で過ごした自分の学生時代のアルバイトを思い出してしまった。

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 私は学生時代の大半を、学生寮で過ごした。
 寮は大学の構内に在り、寮費は確かタダだったかタダに近いもので、生活費として最低限必要なものは安い寮の食費と学費(授業料)と少しばかりの小遣い。

 親からの仕送り6千円、奨学資金3千円合わせて月9千円が私の生活費だった。
 寮は大学構内にあったので、交通費もかからない。

                     当時の学生寮のイメージ(ネットより)


 学費と言っても、当時国立大学の授業料は年間9千円で安かったし、必要な本は図書館を利用し、時に神田神保町の古本屋で安い本を仕入れる程度のもので9千円の範囲で済ませていたように記憶している。

 仲間とのコミュニケーションの一杯は、主に寮の部屋でコップ酒で茶碗をたたいて議論したり蛮声を張り上げて歌うなど、安上がりの方法で仲間との絆を深めていた。
 こうしたささやかな遊びや小旅行を楽しむ小遣いは、さすがに親にねだることはできなかったので、土・日を利用してアルバイトで稼いでいた。

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 私がした主なアルバイトは、中央競馬が行われる府中市の東京競馬場と船橋市の中山競馬場での土・日のアルバイトだった。
 アルバイト料は一日(5時間ほどだったと思うが)240円だった。百円2枚と十円4枚という日当から当時日雇い労働者のことをニコヨンと呼んだが、まさにそのものずばりだった。
 現在の東京競馬場(ネットより)⇒

 時には町工場で電気部品の組み立ての仕事やそのほか肉体労働で日当300円の仕事も経験したが、いずれも土、日曜の昼間の仕事で、夜の仕事は一度も経験がない。    
 得た収入は、月平均千円、多い時でもせいぜい2千円程だったろうか。


 アルバイトで稼いだお金で、仲間とバーに飲みに行き、安いトリスウイスキーを飲んだつもりだったが、調子に乗りすぎて二日分のアルバイト料を上回る500円の勘定に驚いたことが、夢のように思い出される。
 それでも、自分で稼いだお金を気兼ねなく使える、ある種の満足感を味わったのも事実だし、社会人になる過程での貴重な経験だったようにも思える。

 今にして思うことは、何としてもアルバイトをしなければならないという悲壮感みたいなものはなく、ある種の人生経験をつまみ食いしながら、社会人としての地ならしをしたようなものだったのかもしれない。

 かと言って真面目に勉強ばかりしたのではなく、砂川基地闘争など当時盛んだった学生運動にも参加する一方、心行くまで先輩後輩そして同級生とのお付き合いを大切にする時間が長かったように思う。そうした楽しい思い出が詰まった学生生活を過ごすことができたことが、その後の人生の大きな糧になったと思っている。

 今の学生は、学生生活をどのように楽しんでいるのだろうか。
 時代は大きく変わったとはいえ、夜も働かねばならない学生生活とは、みんながそうでないにしても、どのような青春があるのだろうかと、ふと気になってきた。

 最近の学生は、個性的で考えが多様化していると言われ、住まいもアパートやマンション住まいが多いという。そのような生活環境や自分の立場を維持するためのアルバイトなのだろうか。
 私にはアルバイトの必然性というものが浮かんでこないのだが、そう思うのは私だけだろうか。

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by matutaka31 | 2018-08-23 14:16 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

丹波の黒大豆の花が咲いた

 丹波の黒大豆の花は、大きく茂っている茎葉の陰にひっそり咲いているので、普段何気なく見ている人の目にはとまらない花で、ほとんどの人はこの花を見ることはないだろう。

 お節料理にはつきものの黒豆を知らない人はいないだろう。でも、この黒豆の花を見た人は少ないに違いない。正直私もその一人で、家庭菜園で大豆を作るまで見たことはなかった。
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 この大豆の花は、可愛いというか可憐というか、せいぜい5㎜程度の花でひっそり咲いている。
 茎の産毛の大きさと比べてると、その花の大きさがよくわかるというもの。
 大きな葉の影に咲く小さな花だだから、写真を撮るのも一苦労!
 茎の下に潜り込むような恰好をしないと写せない。 
 何枚も撮って、やっとこの程度のもの。

 さて大豆の花言葉は、「かならずくる幸せ」、いい響きの花言葉!
 いくつになっても、この「幸」の一文字は大切にしたいもの。
 このブログを訪問してくださる皆様にも、幸いあれ、と祈りましょう。
 私?
 今の私には、もう来ているようだ(^_-)-☆これ以上高望みすると罰が当たりそう。

 受粉を助ける昆虫も見つからないので、はたしてどうして受粉するのだろうかと疑問がわくが、この大豆の花は、昆虫や風の力を借りないで,花を閉じたままの状態で同じ花の中の雄しべと雌しべで受粉する自家受粉する。

 開花直前に自家受粉して自らの子孫を残す神秘的な営みが、こんもり茂った茎葉の陰で、静かに進行している姿を目にすることができる。

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 今のところ各節に2~3個の花が咲いているので、このまま順調に生育すれば今年も豊作間違いなしだろう。

 でも油断は禁物。

 これからの管理は、土壌の乾燥を防ぐことと病虫害対策だろう。
 もう一つ例外的な台風が襲ってきそうだ。19号、20号が近づいてきた。大きく茂った茎葉は、風に弱い。倒伏防止の台風対策はとるにしても暴風にさらされると、しなやかな葉は微塵にちぎれてしまう。
何とか無事に通り過ぎてほしいものだが、・・・。

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 この黒大豆の収量を左右するのが水やりと病虫害対策。今年もまた先輩菜園家の知恵を拝借しながら管理をするし、そのうえ井戸水を自由に使わせていただくので、大船に乗った気分で取り組めるのが有難い。
 大豆は根粒菌の窒素同化作用で自ら窒素を固定するので、窒素は控えめにして、花が咲くころにリンとカリの追肥をするだけだから、これからは害虫駆除と土壌を乾燥させない管理を忠実に実行すれば、きっと豊作になるだろう。

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by matutaka31 | 2018-08-19 21:20 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

降圧剤を止められるか

 いつまで続けられるか未知数!・・・この夏のある試み!
 それはずっと思い込んでいた「降圧剤の服用中止」

 医者に勧められて降圧剤を服用するようになって、7年過ぎた。「降圧剤は飲み始めると死ぬまで飲み続けなければならない」という世間の常識からすれば、八十路の高齢者にとって降圧剤の服用中止は、常識をわきまえない危険なことになるのかもしれない。
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 私がこの7年間思い続けてきたのは、何とか降圧剤と縁を切ることができないか、ということ。

 一時期130/80台に落ち着いてきたので医者に相談したが、都度、「降圧剤で落ち着いているのだ」と諭され、血圧が適正値(120/80未満)まで安定的に下がらない以上、脳卒中などの発作が怖くて、勝手に服用を止めることはできなかった。

 
 降圧剤と縁を切るには、自らの体質を変える以外に方法はないと悟り、血圧を下げる効果が期待できそうなことを意識しながら、食生活と運動の二点について、思いつくまま、いろんなことを続けてきた。そして毎日、朝食前と就寝前の2回、血圧を測定してその変化を記録してきた。

 その結果、最近、120/75以下と低位に安定してきたので、測定データをかかりつけの医者に見てもらい、服用を止めることはできないかについて相談した。
 その結果、「夏は下がる傾向があるので油断はできないが、一旦(服用を)止めてみよう。ただし、今後とも測定は続けて血圧の変化を見守ること。そのうえ、140を超えるようになったらすぐ相談するように」との注意付きで、今月から降圧剤の服用を中止することができた。
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  最近血圧が低位に安定してきた要因は、確かに医者が指摘するように「夏の暑さ」そのもので、一夏の夢に終わるかもしれないが、もしそうであっても、薬に依存しないで自分の体調を維持できる限界を知り得ることになるので、良しとしよう。再度高血圧になったら、躊躇なく服用を開始すればいいのだから。
 でも私自身は内心、これまで意識して取り組んできた食生活と運動が少なからず貢献しているのではないか、と思っているし、自分の健康管理の面からも、そうでありたいと願っている。 


 私が取り組んだ内容はどんなものか、それは私自身の体質を考えながら我流でやってきたことであり、公言するほどのものではない。
 いずれにせよ、7年間服用し続けた降圧剤と縁を切るという、私にとっては画期的な試みが始まったばかり。しばしの間の夢に終わるかも知れないが、血圧の正常値を参考にしながら、今までやってきたことを続けてみようと思っている。
 

 日本人間ドック学会は、「各学会や団体の正常値を総合的に考えると、正常値は140/90mmHg未満、理想の血圧は120/80mmHg未満と考えて良いでしょう。
 高血圧が続くと、動脈硬化が進み、脳卒中や心疾患、腎疾患などのリスクが上がりますので、高血圧の人はできるだけ早く血圧を正常値に戻しましょう。
 血圧を正常値に戻すためには、まずは生活習慣の見直しや、サプリメントの利用をおすすめします。」と結んでいる。

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by matutaka31 | 2018-08-14 21:23 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

被爆73周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加

 8月9日早朝私は、今年も「被爆73周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加するため、博多駅から長崎行き特急列車に乗った。

 車窓に映る緑豊かな光景と人々の懸命な営みの姿を眺めながら、73年前の被爆直後の様子を思い出し、懸命に生きていた人たちがあのような悲惨な目にあったのが、73年も経過したというのに、どうしても納得できない気持ちを抑えることができなかった。

 浦上駅に降り立つと、73年前と同じように暑い日差しが照り付けていたが、街は何事もなかったように、電車や車が行き交い、街中の人々は懸命にそれぞれの営みで活気にあふれている。73年前の今日この時も、人々の生活模様は異なるにしても、戦中の苦しみに耐えながらも心の中では幸せを抱きつつ、夫々の家族で、学校で、そして職場で懸命に人としての営みを続けていたに違いない。

 その懸命な営みは11時02分、一瞬にして打ち砕かれ、阿鼻叫喚の地獄と化したことを思うと胸が痛む。1発の原子爆弾で、一瞬にして7万人余の尊い命を奪ってしまった痛ましい残忍極まりない殺戮が、つい最近の出来事のように思い出される。

 会場の「平和公園」入り口に、「平和の泉」がある。

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正面の碑に、原爆炸裂直後の悲惨さを物語る、被爆少女の手記が刻まれている。
(中央の黒い部分、逆光のため黒くなってしまった)

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  のどが乾いてたまりませんでした
  水にはあぶらのようなものが
      一面に浮いていました
  どうしても水が欲しくて
  とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
   ―あの日のある少女の手記から―


 説明文には「平和昭和20年8月9日原爆のため体内まで焼けただれた被爆者は「水を」「水を」とうめき叫びながら死んでいきました。」とある。
 私はこの碑文を読む度に、当時の悲惨な状況が思い出され、言いようのない悲しみがこみあげてくる。


 私はこれまで、この式典に13回参加してきた。
 この会場に来ると、なぜか当時の状況が鮮明に思い出され、自分自身に対し被爆体験を一瞬たりとも忘れてはいけない、との思いを新たにすることができる。また数々の遺構を訪ねることによって、被爆の実態に触れることにより新たな発見もある。
 これからも体が動く間は、参加し続けたいと思っている。

 式典の内容は、細かく新聞・テレビ等で報道され、インターネットで世界に発信されたので、改めて記すことはないが式典を通じ、私の心に響いたことをいくつか書き記しておこう。

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式典の様子、児童の合唱

 市長の平和宣言、被爆者代表の平和への誓い、国連事務総長のあいさつは、いずれも、万雷の拍手が続いたが、安倍総理のあいさつは、核兵器禁止条約には一言も触れない儀礼的な型どおりの内容で、終わった後の拍手は一瞬だけだった。
 この会場の反応は、国民の反応に通じるものと私は思うが、総理はじめ式典に参加した政府の要人はどのように受け止めたのだろうか。

 長崎市長 田上富久氏は平和宣言で、「日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます」と、より具体的に政府に求めた。

 被爆者代表 田中煕巳氏は、「被爆者の苦しみと核兵器の非人道性を最もよく知っているはずの日本政府は、同盟国アメリカの意に従って、「核兵器禁止条約」署名も批准もしないと、昨年の原爆の日に総理自ら公言されました。きわめて残念でなりません。」と。

 初めて長崎の式典に訪れた国連事務総長アントニオ・グテーレス氏は、「決して広島・長崎の悲劇を繰り返してはなりません。
 一人たりとも新たな被爆者を出してはなりません」「ここ長崎で、私は、すべての国に対し、核軍縮に全力で取り組み、緊急の問題として目に見える進歩を遂げるよう呼びかけます。核保有国には、核軍縮をリードする特別の責任があります。」
と。


 核抑止力の傘の下に置かれている日本の現状を認めざるを得ないが、日本は唯一の被爆国として、もっと勇気をもって積極的に核軍縮の姿勢を世界に示す義務がると思うし、平和を希求する世界のリーダーになってほしい、と私は願っている。

 式典終了後私は、爆心地に近い「山里小学校」と「長崎大学医学部」の遺構を訪ねたが、その模様は別の機会に改めて記すことにしよう。

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by matutaka31 | 2018-08-10 14:31 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

和食の良さ

 九州市民大学の8月講演は、料理研究家でテレビでもお馴染みの土井善晴氏の「和食の心地よさ」だった。
 副題は(日本的創造がもたらす健康、安らぎ、そして楽しみ)

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開会前

 我が家は和食派。子供たちは一時パン食になったこともあったが、一貫して3食とも和食。
 私が朝食の用意を引き受けるようになって、もうかれこれ17~18年になるが当然のことながら、朝食はご飯に味噌汁、そして2~3菜が定番。
 でも最近ややマンネリになって、私自身、何か工夫が足りないな~と思っていた矢先だったので、土井善晴氏の話は大変興味深い内容だった。

 氏の話を聞くうち、氏の料理に対する造詣の深さを知らされると同時に、和食料理の奥の深さを改めて思い知らされる内容で、日本独特の和食を、今一度見直す必要があるように思えてきた。
その中から特に私の心に響いた2つのことを、書き記してみよう。

 氏の思いが込められた言葉に「家庭料理は栄養摂取だけではなく、居場所を賜ること」だと。「子供たちは母の家庭料理に安心・愛情を感じ、作る母も自信、責任を実感する。そこには母と子供、そして家族の居場所が生まれる」と。

私が子供のころは、母が食事の一切を作るのが習わしで、決して派手な料理ではないが毎日食べても飽きがこなくて、そこには「おふくろの味」というものがあった。
 今になって考えてみると、その家で手に入る新鮮な食材を生かした独自の味が、おふくろの味を作り出していたいたように思う。そうして生まれたおふくろの味は、決して飽きるものではなく、栄養も十分満たされたものであったのだろう。

 私は現職のころ4年間単身赴任の経験があるが、外食が続くと、無性におふくろの味が恋しくなったことを思い出す。
 買ってきた総菜で出来上がる家庭料理で育つ、多くの今の子供たちが大きくなるころには、「おふくろの味」という言葉が早晩死語になるのではないかと、気になってしまう。

 「食事とは、料理して食べることであり、食べる人が主役でなければならない。コンビニで買って帰っては、作った人の顔も見えない、ただ単なる「栄養摂取」に終わって安心・安全を感じることもない。最近日本では、作る人を大切にする食文化が薄れていくようでならない」と、氏は日本の和食を大切にしたいと強調していた。

 もう一つ、それは「一汁一菜」礼賛。
 「何も無理をして豪華な料理を作る必要はない。一汁一菜は日本の食文化そのもので、栄養的にも優れたものである。働く人にとっては、たくさんの料理を作ろうとすると、時間的にも労力的にも無理があるし、料理を作ることが疎かになってしまう。
 そんな無理をしなくても、身近にある食材をうまく使いこなした一汁一菜があれば、栄養的にも十分補えるし、そこにはお母さん・子供たち・そして家族の居場所ができる。」
というのが氏が訴えたかったことだと思う。

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私が作る朝食:「一汁4菜」プラスヨーグルト、ご飯は麦飯

 氏の話を聞いて、和食の良さを見直すと同時に、これから先何時まで朝食当番を続けられるかわからないが、私がしなければならない工夫は、もっと栄養価に富んだ「具たくさんの美味しい味噌汁」を作ることだ、ということだけはしっかり受け止めることができた。

 味噌汁つくりも楽しきこと哉、と言えるような心境になれるかどうか、それは私自身の問題に他ならない。

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by matutaka31 | 2018-08-08 13:53 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)