読書週間

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 読書週間(10月27日~11月9日)があることをすっかり忘れてしまっていたところ、朝日新聞「天声人語」を読んで、ハッとさせられた。読書家にとって今は、正に読書の秋と云うことだろう。
でも、さしあたり読みたい本がない私にとって、何か他人事に聞こえてしまう。

 本を全く読まないわけではないが、最近ではもっぱらインターネットでニュースや面白い話題を追っかけることになってしまうので、本を買って読むケースが少なくなってしまった。
 このパソコン依存の度合いと平行して、漢字の書き方ができなくなっていることを身を持って感じる。
 まず漢字に自信が持てなくなった。
 その証拠に、変換候補に似たような漢字が並ぶと、どの文字がが正しいのか迷ってしまう。挙句の果てに辞書で確かめることに。
 その辺で済めばいいのだが、更にエスカレートして、変換ミスに気がつかないことがある。 
 先日も仲間に送ったメールに「日本史リーズ」とやってしまった。受け取った仲間から「変よ」の一言。(-_-;)
 試合が終って、「鷹勝った」を 「高かった」 「鷹買った」とやらなくてよかった。(-_-;)

 よく引き合いに出される、変換ミスの事例を並べてみよう。
 「 委託内容 」を→「 痛くないよう」 
 「 この人は得意です」を→「 この人ハト食いです」
 「金送れ頼む」を→「金遅れた飲む」  事例をあげればきりがない。

 更に「覚え違い」や、「うろ覚え」が増えてきた。
先日の朝日新聞「天声人語」に、福井県立図書館の「覚え違いタイトル集」なるものがあると書いてあったので、早速ネットで検索してみた。
 あるある~・・・覚え違いの例が567例。自身にも思い当たる節がある。
 『おやつのない人生なんて』 を「スイートのない人生なんて 」
 『おひざでだっこの会』 を「おんぶにだっこの会」
 『老いの戒め』 を 「オニのいましめ」
 『奸婦(かんぷ)にあらず』を 「妊婦にあらず」
 『大佛次郎(おさらぎ じろう)』を 「だいぶつじろう」 

 今書いている文章に、変換ミスはないだろうな。(*_*;
 せいぜい大きな恥をかかないよう、気をつけることにしよう。
  
# by matutaka31 | 2015-11-01 17:39 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

5年間のウォーキング目標

 福岡を起点として日本一周8,955kmの再チャレンジを考えたが、体力も歩幅もおちるのは避けられず、完歩まで6年以上もかかってしまうだろう。これでは80歳の私には長すぎる。

 そこで5年後に福岡へ到着するような計画を考えた。インターネットバーチャル日本一周のルールは、どこからスタートしても良いが、スタート地点から右回り(時計回り)と決められている。

 その計画というのは、5年後に笑顔で福岡を通過できることを夢見て、逆算してスタート地点を決めた。
   つまり一日の目標=4km
   5年間の歩行距離=約7,300km
   福岡から反時計回りで約7,300kmの地点=山形市

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山形市は東京在住の頃、仕事で度々訪れた思い出の地


 そんな面倒なことを考えなくても、6~7年間で日本一周を計画すればいいのに・・・と言うご仁もあろう。でもいいんだ・・・1年先どうなるかも分らない年頃だから、まずは5年先に福岡へゴールする夢を追っかけよう。(^。^)

 今、仲間2人が日本一周に挑戦中だが、一人は2年後、もう一人は5年後に福岡ゴールの予測だと言う。
 2年後ゴールの仲間は無理としても、5年後に福岡ゴール見込みの仲間にどこまで追いつけるか・・・、これも楽しみの一つ。(^^♪

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 何事にも目標がないと頑張れない私のこと、自分の健康管理には目標が欠かせない。
 そう思って、10月26日を吉日として、毎日のウオーキングに再チャレンジ! 

 九州市民大学で聴いた、現役バレリーナー森下洋子さんの言葉を忘れないようにしよう。
  練習を1日安むと、(体力の低下が)自分で気がつく
       2日休むと、周りが気づく
       3日休むと、観客が気づく


# by matutaka31 | 2015-10-27 17:02 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

黄色い秋の花

 秋が深まるこの時期、管理された花壇以外では、あまり花を見かけない。
 子供の頃よく見かけた黄色い野菊の花も、何故か最近あまり見かけなくなった。農家の庭先に、切り花用によく植えられていたし、野道でもよく見かけたものだが・・・。

 さて私達がボランティアで管理している「ひょうたん池」で、秋を印象つけるような、黄色い花が満開。
 その一つが、「レオノチス」
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 日本には最近輸入された比較的新しい植物で、晩秋にオレンジ色の花を咲かせる


耳慣れない名前で、何回名前を聞いても覚えるのに苦労する。 それもそのはず、原産地は南アフリカ。
 暖地の花壇で育てると2mくらいまで育つが、やや寒さに弱いので、花壇で育てるのは。関東以南と思われる。
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花冠がライオンの耳に似ているというが、正直どこが似ているのか分らない

 属名のレオノチス Leonotis は、ギリシャ語の leon(ライオンの意)と ous(耳の意)に由来しているが、英名もライオンズイヤー。 花期は10~11月と長いので、当分楽しめそう。


ついでにもう一つ。お馴染みのツワブキ、漢字で「石蕗」、「艶蕗」と書く。
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 開花時期は、10~ 11月。
 葉は蕗(ふき)に似ていて、”つや”のある葉から ”つやぶき”。 それが変化して 「つわぶき」になったと言われる。
 やや日陰に良く育つので、あまり目立たないが、独特な芳香を放つ秋の花として親しまれる花である。
 道端でこの花を見かけると、何故かホッとする。
# by matutaka31 | 2015-10-24 10:27 | 思いのまま | Trackback | Comments(5)

日本一周達成

 まずはこの写真を見ていただこう。
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 インターネットバーチャル「日本一周歩こう会」で歩き続けること5年間、ついに日本一周達成の瞬間! 
 健脚の方にとっては驚くような記録ではないだろうが、私にとっては稀に見る快挙。
 
 2010年11月25日福岡市をスタート、日本海側を時計回りに北上し、北陸、東北、北海道を一周、青森県から太平洋側を南下、関東、阪神、四国を通り、最後に九州・沖縄を一周して10月20日福岡に帰ってきた。

 歩いた距離は8,955km、要した日数は1,790日(約4年11月)、1日平均5kmになる。
 それを支えてくれたのは、一日5km達成の目標
 
 それにしても5年間も良く歩き続けたものだ、と我ながら感心している。

 鹿児島を通過した辺りから、ゴールの目標日を10月20日~26日の一週間の間とした。この1週間の間には、私にとって想いを込めた日が3日あった。
 その一つ10月21日は私が最も敬愛した兄の命日。その命日に間に合って良かった。癌で急逝した兄は私のこの挑戦を知らなかったが、きっと草葉の陰で喜んでくれていることだろう。

 この日本一周を始めたのは5年前、ブログ友のdojyou38さんに、この会の存在を教えてもらったのがきっかけ。
 歩き始めた時は、5年後にゴールできるなんて想像もしていなかったが、途中からだんだん欲が出て、1日平均5kmの目標をにして、何とか達成したいと頑張るようになったのがこの成果につながった様に思う。

 この5年間を振り返れば、一度も病気で寝込むようなこともなく、ほとんど毎日歩き続けることができたのが幸いだった。
 退職後15年間続けた毎日のウォーキングと家庭菜園それに10年前から始めた週2回の太極拳の三拍子の運動に、さらに毎晩欠かさない百薬の長が相乗効果を生み、お陰で健康を維持できたのだろう。 この上ない幸せで、感謝!感謝!

 さて、この先どうするか。2回目に挑戦するか?
 何らかの方法でウォーキングを続けたいと思うので、しばらく考えることにしよう。
# by matutaka31 | 2015-10-21 20:17 | 思いのまま | Trackback | Comments(11)

被爆70週年記念誌に寄せられた原稿を読んで

  私は今、原爆被害者の立場で、所属団体が進めている「被爆70周年記念誌」編集のお手伝いをしている。
 これまで会員から寄せられた多くの原稿のうち十数人の方のを読ませていただいたが、その全てが、実際に体験した人でしか書けない、原爆炸裂直後の状況やその後目にした悲惨な地獄絵等が鮮明に綴られ、また運よく生き残ったものの、その後の辛い闘病生活、周りの人から受けた偏見、放射線の影響に対する不安や心の葛藤など、70年後の今になっても消え去ることなく苦しめられている被爆の実態が極めて鮮明に書き記されて、原爆がいかに悲惨で非人道的なものであるかが改めて浮き彫りにされている。

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 私が最も力を入れてお手伝いをしている点は、寄せられた原稿を幾度となく読み返し、投稿者の気持を最大限尊重しながら、その心からの叫びを正確に文章で表現してさし上げ、後世に正確に伝わるようにすることである。
 中には訴えたい気持は痛いほどよく分るけど、その気持を文章に表すことが苦手の人もいらっしゃる。
 そうした方々には、時には電話で直接本人の気持を確かめ、あるいは修正した原稿を再度本人に届けて内容を確認してもらうなど、本人の訴えたい内容をそのまま表現してあげることである。



 
 このような被爆者の貴重な体験談をまとめた「70周年誌」が出来上がった暁には、世界で唯一の被爆国日本の広島・長崎で被った悲劇として、一人でも多くの方々に読んで頂きたいと願っている。
 そしてその冊子が「核兵器廃絶への道標」として、きっと役立つと信じている。
いやそうしなくてはいけないと心に誓って、編集のお手伝いをしている。
 
 一人でも多くの方々に読んでいただくには、まずその本を手にして貰わねばならならない。
 そのためには、言い古された回顧録的な表題ではなく、戦争や被爆体験のない人々の目を引く表題でなければならない。
 この表題こそが、これから私達が知恵を絞らなければならない、大切な課題である。

# by matutaka31 | 2015-10-19 20:22 | 思いのまま | Trackback | Comments(4)